大学受験の話

今回は大学受験の時の話について書いていきたいと思います。

 

数学が苦手だったので私立文系を選んで、国語英語日本史で受験しました。

高2の終わりから受験勉強を予備校に通い本格的に勉強を開始しました。

ちなみに予備校は城南予備校というとこです(あんまり有名じゃないですかね?)

 

それで最初は順調に勉強できていたんですが、夏休みは暑さで夏バテし勉強が楽な日本史をひたすらやっていた記憶があります。

そしたらなぜか夏休み明けの模試で国語が学年一位でした。現文なんて週に予備校の一コマしか勉強してなかったのに伸びたのがほんと不思議でしたね。

 

センター試験は国英社だけ受けたんですけど9割ちょうどくらいの点数だったと思います。国語が簡単な当たり年でしたね。日本史は97点だったので満点取りたかったなぁ。

 

受けた大学はセンター利用が明治法、法政経営、一般入試が早稲田法、商、社学、教育、文構の5学部でした。政経は日程の都合と偏差値にビビッて受けませんでした。

 

それで結果は全学部受かりました。受験する前は早稲田乱れ打ちして一つの学部がうかればいいなぁって思ってたぐらいなので自分でもびっくりでした。

 

たぶん自分の人生の中で大学受験が一番でほぼ唯一の成功体験になるんだと思います。

失敗してたら学歴コンプで今よりつらい学生生活になってたと思うので、結果的に受験は成功出来て良かったです。

人前が怖いと思ったきっかけ

こんにちは、ゆるりです!

今回は人前が怖いと思ったきっかけについて書いていこうかなと思います。

 

ずばりそのきっかけは、小学校の時の日直のスピーチでした。

私がいた小学校では、日直は朝の会の時に休日に何をしたかを一分間スピーチする決まりがあったんですね(今思うと意味不明すぎる)。

 

小学生ですしたった一分間ですから、「休日に○○に行って○○しました、たのしかったです。また行ってみたいです。」くらいの簡単なスピーチなんですけど、小学生の時の私はほんとにこのスピーチが嫌で嫌で仕方なかったです。

 

何がいやかってスピーチで前に出ると心臓がほかの人にも音が聞こえるんじゃないかと思うほど激しく鼓動して苦しくなって、口がカラカラになって脇と手からダラダラ汗が出るんですよね。

一番怖いのがクラスメイトの目線でした。クラスメイトの目線がそれぞれまるで自分を攻撃してるかのような気分でしたね。

自分が日直の当番になる数日前から憂鬱な気分になって、当日はほんとに苦しくってスピーチ中に泣いたこともありました。なにより友達の前で恐怖に陥ってる姿を見せるのがとてもなさけなかったです。

 

周りが少しは緊張していても普通にスピーチが出来てるのに自分が出来ないことで、何か自分が普通じゃない、劣っている気持ちを小学生の時から抱いていました。

 

こんなかんじで自分が人前を極度に怖がることには小学生の時には気づいていましたが、SAD(社会不安障害)という言葉を知ったのは大学生の時でした。初めてSADを知ったときは今まで自分のだめだと思ってたところが仕方ないことだったんだと思えてほっとしたことを覚えてます。

 

もっと早く知っていれば、こんなにコンプレックスに感じることもなかったかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

逃げの休学は悪くないよって話。

こんにちは、ゆるりです。

 

今回は休学の話をしたいと思います。

休学って「攻めの休学」「逃げの休学」に分かれてると思うんですね。

攻めの休学はいわゆる意識高い系の人がやる休学です。

フィリピンだかカンボジアに行ったり、日本一周したり、プログラミング勉強して起業したりとかそんな感じの休学で、就活でもアピール材料になったりします。

だいたいネットで休学って調べて出てくるのはこういう休学が多いですね、ちょっといらっとします。

 

これに対して、私がやってるのは逃げの休学です。

いろいろ複雑な経緯はありますが、結局はつらくなって現状から逃げるために休学しました。

逃げの休学は、就活でも評価されるわけじゃないですし、むしろ不利になるんじゃないかと思います(まだ就活してないのでわからないですが)

やっぱり会社の人からしたら、休学した理由は気になるでしょうし。

 

ただ、そういったデメリットはありますけど、休学するのは悪くないんじゃないでしょうか。

この先いつまで生きていられるかわからないですけど、年金制度も崩壊して多分私たちの世代は文字通り死ぬまで働くことになるんじゃないかと思うんですね。

この先一生働くだけってむなしくないですか?

それだったら、若い時の一年間ぐらい合法的に就職しなくて済むのは、一度きりしかない人生でありなんじゃないかなと、、、

生涯年収が減るとか、休学費用が掛かるとかそういうお金の問題もありますけど、やっぱり一番大事なのは自分の時間と心身の健康ですしね。

実際個人的に休学してみて精神的にはだいぶ安定してきました。

バイトはしてますけど、学校がなくて時間がたくさんあってとりあえず差し迫った問題がないっていうのはほんと心が楽になりますよ。

 

逃げずに押しつぶされちゃうくらいなら、思い切って逃げちゃいましょう。

 

※ただし、休学すると復学をどうするかっていう問題がつきものです。

復学しても一年間周りとずれてなじめないかもしれませんし。

なので休学は語学や必修が少ない3・4年にやるべきなんじゃないかと思いますね。

 

休学生が食品工場で働いてみた

こんにちは、ゆるりです。

 

今回は食品工場で働いていた時の話をしていきたいと思います。

もうやめてはいるんですけど、守秘義務とかコンプラがあるのである程度ぼかしますが、、、笑

 

休学することにした私はとりあえずネットでバイトを探すことにしました。

でも、コミュ障なので接客は無理だし、時間は空いてるから長時間働きたい、、、

そこで、食品工場に応募することにしたんですね。

最初は近くのところに応募したんですけど、そこは断られたのでわざわざ通勤にトータルで一時間かかるようなところに働くことになりました(工場が最寄駅から遠くて駅からバスで行かないといけなかった)

一日8時間で週5日のバリバリのフルタイムです。しんどい。

 

仕事内容

私は、主に攪拌(かくはん)と検品をやってました。

攪拌は、機械に水とか粉とか調味料とかをぶっこんでボタンをぽちぽちする作業です。

最初は地味に覚えることが多くて大変でした、それに機械が材料を混ぜ終わるまで待たないといけなくてそれが地味にだるかったですね。

毎日作るものが違ってくるので、最初に工程表を見てだいたい早く終わるか、残業しなくちゃいけないのかわかるのはよかったです。

 

検品は、ひたすら出来上がった商品のチェックをやって移し替える作業です。

いっさい頭を使わなくていいので楽ですけど、ずっと同じ姿勢をしなきゃいけないので全身がめっちゃ痛くなります。ほんとに単純作業なのでひたすら別のこと考えてました。

 

食品工場で働いて驚いたこと

・トイレ

食品工場ってやっぱり衛生にはものすごく気をつかってて、トイレもちょっと普通とは違います。

トイレは自分で自由に出ることができなくて、アルコールを手に噴出する機械に何秒間か差し込まないと出ることができないんです。

あと、便器も一度使うたびに消毒用スプレーをかけないといけないきまりになってました。

 

・外国人

食品工場は外国人が多いです(特に中国人とベトナム人

今は人手不足なので、どこの現場もそうなんですかね?

同じラインに中国人がいましたけど、全然日本語が出来ないので、ジェスチャーと気合でコミュニケーション取ってました笑

 

 

 

嫌だったこと

食品工場はとにかく機械の音がうるさいです。うるさい音が苦手な人は絶対働かいほうがいいです。音がうるさいので人と話すときは結構大声出さないといけないです。

あと、やっぱり仕事が単調です。毎日同じ景色で同じ作業。

工場で働いてると、実はこの世界はループしてるんじゃないかと本気で思えるようになります。あの仕事を何年もやってる人がいるなんて信じられないです。マジで。

 

まあ、食品工場時代のはなしはこんなかんじですかね。

無能な休学生でも月に18万以上もらえたのはよかったですけど、働いてるときはほんとつらかったですね。やめて正解だったと思います。

 

ちなみに食品工場で働いてるときはまだ休学届が受理されていませんでした。

もし、休学届が却下されていたら何も準備できずに就活に臨むことになったかもしれない、、、

ほんと休学できてよかったですね。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!!

 

 

休学生がブログはじめてみた

こんにちは、ゆるりです。はじめまして!

 

ブログ初心者で書き方がわからないので、とりあえず自己紹介をします笑

私は現在、都内の某私立大学法学部に通っている大学生です。

年齢は21歳で、一応学年は4年生ということになると思います。

そして、表題にもあるように現在大学を休学しています。

一応休学期間の予定は今年の春学期いっぱいになっています(春休み、夏休みを含めて授業がないのは8ヶ月くらいですね)

休学している今は、バイトをしながら公務員試験の勉強を並行してやってます。

 

まあ、自己紹介はこんなかんじですね笑

三日坊主にならないようにちょくちょくブログは更新していきたいので、ぜひみてくれたらうれしいです!

(やってみるとブログ書くのけっこう難しいな、、、)